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フェイク 第1191号 (発行=11.04.19)
実績ゼロの永井藤蔵が委員長に
法華講の連合会委員長、副委員長が交代
日顕の手先で供養収奪に狂奔した柳沢喜惣次日顕宗法華講の総講頭・連合会委員長の柳沢喜惣次が去る十五日、辞表を提出して受理され、後任の連合会委員長に大講頭で茨城地方部長の永井藤蔵が任命された。また、石毛寅松(法道院)も連合会副委員長を辞任。後任には星野浩一郎(本行寺)が任命された。
新任の永井は元々、根檀家で本妙寺(茨城県土浦市)の講頭、総代などを歴任。教学力や折伏などの実践力もなく、実績は何もないが、先祖の七光りで平成十六年一月、大講頭に抜擢された。
その後、八木日照、阿部信彰らの坊主や柳沢らと組んで、大布教区別指導会とか布教区単位の僧俗指導会などを回って折伏・結集についてハッパをかけていたが、行く先々は沈滞ムードが漂うばかり。青筋立てて檄を飛ばせば飛ばすほど、出席者はやる気を失うといった具合で逆効果だった。
こんな永井が連合会の委員長になっても、まったく期待できない。
なお、以前から次期の総講頭・連合会委員長と目されていた石毛寅松は、二年前の初登山の際に脳梗塞で倒れて以来、病身で失格。妙観講の大草一男ら他の大講頭は埒外だったようだ。
柳沢の辞任の理由は大正十二年十一月十九日生まれの八十七歳という高齢に加えて体調不良のためである。
もともと、柳沢は折伏も不得手、教学力もゼロのうえ、話も下手で大声を張り上げるしか能がなく、最近は認知症かと疑われるような症状も激しかったという。
先月の講頭会は、参加者から今年の年末に強行する「特別供養」を巡って紛糾。参加者からは「自分達のお寺だって補強する必要がある」「経済的に大変に厳しい」「年に何度も登山するのは苦しい」といった意見が相次いだが、柳沢は明快な回答もできず、支離滅裂の話をしただけだったというから話にならない。
また、昨年、骨折して、治癒が遅れて歩行も困難で、両脇から抱えられて、やっと動けるような有り様。これでは檄を飛ばして各地を回ることは不可能だから、お払い箱になった次第。

この柳沢と日顕との関係は古い。日顕が本行寺にいた頃から柳沢は「提灯持ち」と陰口を叩かれていたように、日顕の顔色を見ながらゴマを擦る以外には何一つ取り柄もない男。
日顕の意向を受けて客殿、奉安堂などの供養収奪に血道を上げたが、こんな柳沢が一躍、有名になったのは法華講連合会の委員長でありながら、平成七年八月、大修寺(当時の住職は日顕の息子の阿部信彰)の法華講員を引き連れ、身延山久遠寺に参詣したことであった。
同十年三月には総講頭になり、収奪魔として全国の法華講員から嫌われていた。現在も「特別供養」を推進したため恨まれているようだ。日顕に利用され尽くした哀れな柳沢も、遂に使い捨ての身になった。
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- 2011/04/19(火) 17:09:58|
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