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フェイク 第1147号(発行=10.10.13)
「戒壇論の違いこそ相承なき証拠」
花野充道著「天台本覚思想と日蓮教学」 ③
時代錯誤の宗門、議論を避ける臆病な体質 僧籍を離れた花野充道氏の博士論文「天台本覚思想と日蓮教学」の「あとが
き」は、かつての「僧侶主導の広宣流布を考える」(同人誌「道心」二十九号
に掲載)での主張を再確認しつつ、日顕の放言や愚行・暴挙を厳しく糾弾する
内容になっており、極めて注目される。
これには日顕側の坊主共では反論も弁解もできまい。これまで論争で日顕を
痛烈に糾弾して反論不能に陥らせたのは改革僧の松岡雄茂博士(東大)だけだっ
た。
あの顕正会の浅井昭衛も以前、日顕に対論の書面を送ったことはあったが、
小僧達の「邪義破折班」に軽く一蹴されてしまった。
原理主義者の顕正会には居丈高に一喝できても、文部科学省認定の大学院博
士課程で研究した松岡・花野両博士には太刀打ちできない。これが独善的で閉
鎖的な「井の中の蛙」教団の私塾・富士学林大学科の限界なのである。
それでは、前号に引き続いて、花野博士の主張を抜粋して紹介する。
「創価学会は各国の現実を直視しながら、変幻自在に布教をしている。原理
主義者は、ややもすれば鎌倉時代の服(御書)にあわせて人間を切ろうとする
が、人間にあわせて服を調整する柔軟性をもたなければ海外布教はできない」
日顕宗は現在、国内での折伏は頭打ち、海外布教にも行き詰まっている。だ
が、広布の方途を示唆した花野博士の論を宗門は否定するしか能がないのであ
る。
日顕は以下の花野論文を熟読玩味し、回答すべきだ。
◇ ◇
宗門においては、一対一、二対二、三対三というように、同数で堂々と論じ
合うことは許されないのでしょうか。同数だと議論になってしまうので、あく
まで権威的に宗務院の指示に信伏随従させたいのでしょう。
創価学会の執行部とも、解決に向けてきちんとした議論をしようとはせず、
「日顕上人へはお目通り適わぬ身」などと、時代錯誤の言い方で、最終的に数
百万人もの信徒を破門にしたのは、宗門の権威的でしかも臆病な体質からくる
ものである、と私は思っています(中略)はじめから徹底的に議論をして、解決
しようという勇気がなく、ただ「法主に従うか、従わないか」というだけで、
正信会にしても、創価学会にしても、排除してきた宗門の臆病な体質が明らか
です。(少し省略)
数年にもわたって、宗内僧俗で戒壇論を議論し合って、ようやく正本堂が建
立された以上、その意義づけの変更や(正本堂の)解体についても、当然、宗内
僧俗で議論すべきではなかったでしょうか。議論も全くなされないまま、状況
の変化によって(日顕上人の鶴の一声によって)宗門の公式見解が突然、変った
ように、多くの人々に受けとられかねません。戒壇論についての宗門の公式見
解は、はたして民衆立なのでしょうか、国主立なのでしょうか、国立なのでし
ょうか(中略)。
日蓮正宗に一貫した「法門相承」があるとすれば、前の御法主と後の御法主
で戒壇論が違うというようなことは起こらないのではないでしょうか。もし、
このたびの第二次学会問題が起こらなければ、日顕上人は日達上人の戒壇論の
誤りを訂正されることはなかったのでしょうか。(つづく)
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- 2010/10/13(水) 22:38:46|
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