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フェイク 第1292号

フェイク 第1292号 (発行=12.04.29)


「日顕の提灯持ち、一足先に逝く」
法華講連合会の前委員長・柳沢喜惣次が死去
約六十年間、日顕の手先で供養収奪に狂奔



 日顕宗法華講連合会の前委員長・柳沢喜惣次が風邪をこじらせて肺炎になり、去る二十七日午前十時十七分、死去した。柳沢は大正十二年十一月十九日生まれの八十八歳。一昨年には本山で転倒して骨折し、治癒が遅れて歩行も困難になり、両脇を抱えられて、やっと動けるような有り様だった。

 晩年には法華講の会合などで登壇しても意味不明の発言が目立つようになり、最近は認知症の症状も顕著になっていたという。

 通夜は立宗記念日の二十八日午後七時から、告別式は二十九日午前十時前から東京都墨田区の本行寺(坊主は高野日海)で行われた。

 葬儀には日如、日顕らも姿を見せ、一般参列者は約千百人、外で整列させられたまま待たされ、疲れて座り込む年配者が目立った。

 柳沢と日顕との関係は、六十年以上も続いた。

 終戦直後からの長年にわたる二人の親密な間柄を知っている宗門関係者は「柳沢さんは、御隠尊猊下より一つ年下だけど、露払いとして一足先に逝かれたのだろう」と語っていた。

 昭和二十二年五月、日顕(当時は阿部信雄)が本行寺の住職になった頃から、柳沢は日顕の供養集めの片棒を担ぐようになった。「提灯持ち」と陰口を叩かれながらも、日顕の顔色を窺いながらゴマを擦る以外には何一つ取り柄のない無能な男であった。

 特に、平成四年三月に連合会委員長になって以来、それまで宗門外護に徹してきた学会に対して罵詈雑言を浴びせるなど日顕の広布破壊のお先棒を担いできた。

 なかでも悩乱した日顕が大客殿、正本堂を解体するや、その意を受けて客殿・奉安堂建設の供養収奪に狂奔した。

 その「ご褒美」として平成十年三月二十五日には、分不相応の総講頭の任命を受けたのである。

 その後、阿部信彰らと各地を回って、自分達は何もしないが法華講員らに対しては折伏、それに結集大会、夏期講習会などの結集、登山の強要のため大声を張り上げて発破をかけ、更には御影堂の修復工事などと理由をつけて特別供養を搾り続ける宗門のお先棒を担いでいた。

 講頭会等で「もう供養するお金がないんです」「本山だけではなく、自分達のお寺だって補強する必要がある」「経済的に大変に厳しい」「年に何度も登山するのは苦しい」等々の苦情には一顧だにせず、一喝しては供養を集め、法華講員を苦しめてきた柳沢の言動は本紙で再三、報じてきた通りである。

 この柳沢が昨年四月十五日に総講頭・連合会委員長の辞表を提出すると、あっさり受理され、その後任には早瀬日如系の永井藤蔵という茨城地方部長が連合会委員長になった。総講頭は未だ空席のままである。

 柳沢は正法に出会いながら日顕の手先として供養と称する金集めと信徒苛めで生涯を閉じた。今の宗門が日蓮大聖人の仏法とは全く無縁の邪教に転落した一因を作った事は紛れも無い。

F1292
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  1. 2012/04/29(日) 23:26:47|
  2. フェイク

フェイク 第1291号

フェイク 第1291号 (発行=12.04.23)


日如は現代の「両火房」だ!
早瀬日如の「盗座」後、宗内に相次ぐ火災
正光寺の講頭・小池一彦の義父が焼死



 早瀬日如の「盗座」以来、大石寺及び末寺などで火災が相次いでいるが、遂に法華講の講頭の義父が焼死するという悲劇が起こった。

 山梨日日新聞によると、去る二十一日午前四時五十分頃、南アルプス市落合の深沢智雄氏宅から出火、木造二階建ての住宅をほぼ全焼(写真上)して焼け跡から男性の遺体が見つかった。

 出火直後から深沢氏の行方が分からなくなっており、南アルプス署は、遺体は深沢氏とみて身元の確認を急いでいる。報道によると、深沢宅の東隣に住んでいる娘夫婦が一一九番に通報したとのことだが、この娘婿が小池一彦という甲府市・正光寺の講頭である。

 小池は平成二年二月、学会を脱会し、機関紙などを通じて山梨県の学会幹部などに事実無根の非難中傷を浴びせたことがある。

 ところで、元祖ニセ法主の日顕は、行く先々で集中豪雨などに見舞われ「雨坊主」の異名をとったのは、広く知られている。対して、二世ニセ法主・日如は「火事坊主」と呼ぶに相応しい。


 主な火災を列記する。

 日如が「盗座」した翌年の平成十八年八月十二日午後四時前、物凄い雷鳴が轟いた瞬間、奉安堂の東側に立つ杉の大木に落雷。杉の大木は中央付近から火を吹き、周辺には黒煙が立ち込めた。この落雷による火災を「慧妙」では「功徳だ」と詭弁を弄していたが、その後も宗門には「功徳の火災」が多発している。

 平成二十一年六月に法道院でボヤ騒ぎ、八月には大石寺・駐車場で乗用車十台が焼けた。

 同年十月十一日(日本時間十二日)にアメリカ・ワシントンDCの妙宣寺でお会式の最中、火災(写真中央)があり、大騒ぎになった。

 更に、同年十一月十五日午後には大石寺の境内にある休業中の売店で、木造平屋建ての建物八店舗、約二百五十平方メートルが全焼した(写真下)。

 続いて同二十二年一月十七日午後七時頃、新宿区・大願寺(板東慈潮)から黒煙が立ち上り、辺り一面には物凄い異臭が漂った。

 この直後の二十七日には大石寺近くの蓮成寺でもボヤ騒ぎが起こった。

 日蓮大聖人ご在世当時の極悪僧・良観の極楽寺が火事で焼失し、良観が庇護を受けていた鎌倉幕府の御所も火災になったことから、大聖人は「りょうかん」をもじって「両火房」と揶揄された。日如は現代の「両火房」と言ってよい。気の毒ながら、犠牲になった人は日如の生贄にも等しい。

F1291
  1. 2012/04/23(月) 23:47:48|
  2. フェイク

フェイク 第1290号

フェイク 第1290号(発行=12.04.21)

悪辣な「塔婆商法」で荒稼ぎ!
銭ゲバ・早川勤道が娘婿の為に建てた寺
日如も日顕に習ってファミリー人事を断行


 大阪府交野市内に真興寺が完成し、二十一日に早瀬日如が来て、午前十時か
ら入仏式を行った。日顕宗が新寺院を建てるとは珍しいことではあるが、実は
覚仁寺(守口市)の早川勤道が長女・具子の婿である舟橋雄雅(五十一歳)を住職
にするため、覚仁寺の分院として建てたもので、一階は庫裏、二階が本堂にな
っている。

 入仏式に参加した法華講員の話によると、型通りの法要のあと、記念植樹な
どを行ったが、感動するような内容は何もなかった、とのことである。

 ただ、講員の中には建立した早川を褒める者もいたが、「我々信徒の御供養
を貯め込んでいたんだ」と他の講員に耳打ちされると、鼻白んだ様子だった。
そこで本号では早川の金集めの悪辣な手口を紹介する。

 早川は学会出身の坊主で、学会時代は活動も勤行も殆どしていなかった。或
る時、女性問題を起こして先輩に厳しく注意され、学会にいられなくなって坊
主になった不埒者である。

 第一次宗門事件の時には正信会に走った。土地も建物も学会が寄進した覚仁
寺に居座ったまま、学会に悪口雑言を浴びせ、脱会者作りに血道を挙げていた。

 この早川の金儲けの手段に「塔婆」がある。銭ゲバ坊主の多い宗門の中でも
早川の塔婆商法は頭抜けている。普通の塔婆に加えて「万塔婆」という新手の
塔婆で信徒を騙し、荒稼ぎをしていたのも早川だ。

 この「万塔婆」とは二メートルもある大きな塔婆のこと。これを「万塔婆」
と称して一万円で売り付けていた。しかも、「お前にはタヌキが憑いている」
とか「あんたにはキツネが憑依している」と信徒を脅して「毎日、寺に来て塔
婆を立てるように」と迫っていた。

 そのうえ、有名人の死も金儲けに利用する。

 例えば、国民的人気歌手の美空ひばりが亡くなった時は「美空ひばり塔婆」
を立てさせ、「昭和天皇塔婆」までも用意していたというから不遜の極みだ。

 ところが、肝心の塔婆は自分では書かず、従業員や高校生アルバイトにやら
せ、申し込んだ塔婆が立っていないことも多々あった。

 そのことを早川に言うと、「塔婆を忘れられるのは信心がないからや!」と
逆に怒鳴りつけられたという。

 また、出家の動機となった「女狂い」は病的という噂である。大金を供養す
る女性信徒を「法話会」と称してホテルに連れ込んだ事もあり、結婚式の控室
では女性従業員に「あんた、色っぽいね」と猫なで声で言い寄ったこともある。

 大顰蹙を買ったのは葬儀会場で棺の中を覗き込んで「えらい別嬪やな。生き
ているうちに一度、お手合わせ願いたかったな」と言い放った時だ。遺族はも
とより参列者は唖然としていた。

 一方、真興寺の住職になった舟橋雄雅は昭和三十五年七月生まれ、同五十八
年の一般得度。父親は群馬・無量寺の住職、群馬布教区の支院長等を務めた舟
橋泰妙(故人)。雄雅は非常識な傲慢坊主として知られている。愛知・法布院主
管を経て無量寺の副住職になったが、平成十八年に泰妙の死後、住職にはなれ
ず、北海道・妙照寺に飛ばされていた。早瀬家と舟橋家は親密な関係にあり、
今回は日如による情実人事である。


F1290
  1. 2012/04/21(土) 23:45:33|
  2. フェイク

フェイク 第1289号

フェイク 第1289号(発行=12.04.19)

勤行しない坊主・寺族・法華講員
天に唾する「大白法」の難癖を嗤う ㊦
阿部信彰が「金にならないお経はあげるな」


阿部日顕、早瀬日如の二人のニセ法主が勤行嫌いの懈怠坊主であることを前
号で具体例を挙げて指摘すると、多大な反響があった。「勤行しない坊主は日
顕と日如だけではなく、末寺では住職も、ほとんどの寺族も勤行をしていない。
特に甚だしいのは勤行が出来ない坊主もいた」という仰天するような情報が改
革同盟の僧侶をはじめ各関係者から次々と寄せられた。

 以下は主な証言である。青年得度七期の諏訪雄践は寺族で大学卒業後に出家
したが、まったく勤行が出来なかった。この醜態は寺族でありながら勤行をし
ていなかったことを物語る。

 次に改革同盟の成田雄伴氏の話によると、高野法尊は相撲好きで、大相撲の
テレビ中継を欠かさず観戦する。そのため場所中の夕方の勤行は、方便・自我
偈もそこそこに、唱題はたった十遍だったという。

「大白法」四月一日付では「布教も学問も事務も、勤行を手抜きしてよい根拠
にはならない」と書いているが、実態は布教、学問、事務どころか、坊主であ
りながら、相撲のテレビ観戦のために勤行を手抜きしている。こんな高野法尊
のような怠け坊主を「大白法」はヤリ玉にあげるべきだ。

また、神戸の法恩寺にいた冨田慈龍は、朝の勤行はするが、夜は晩酌して勤
行をしなかった、と語るのは渡辺雄範氏である。

夜の勤行をしない理由として「日顕猊下も本行寺の住職だった時は、朝だけ
しか勤行しなかったんだ」と弁解していた。

冨田は日顕が本行寺にいた時に在勤していたので、日顕の懈怠ぶりを誰より
も良く知っていた。都合のよい言い訳である。

また、改革同盟の押田雄勤氏が岐阜・経説寺に在勤していた時、住職の殿原
法正が勤行したのは一年間で十回にも満たなかったと語っている。普段はまっ
たく勤行しない男が寺の住職とは呆れるばかりだ。

「勤行させなくてよい」と菅野修道

同じく植松雄増氏が、茨木・安住寺に在勤していた時に菅野修道の娘(小学生
)に一緒に勤行した方が良いと話したら、菅野に「勤行なんか、させなくても
良い」と怒られたという。

これだから寺族は大人になっても勤行できないのである。

土井雄育氏がある日、たまたま火葬場で学会の人に頼まれて読経・唱題して、
寺に戻るのが少し遅くなった。阿部信彰に事情を説明すると「ただの御経をあ
げるな」と怒鳴ったという。

読経も金儲けのためだから「日蓮商宗」というのだ。

坊主が勤行しないから法華講員もしない。それを物語る象徴的な出来事があ
った。昭和四十七年二月、学会が願主となって大石寺近くの妙蓮寺に宿坊四ケ
坊が完成。新築法要で講頭や総代らは最前列にいたが、勤行はできない。終了
後に揃いも揃って足が痺れで転倒。口々に「日頃は勤行していないから」と苦
笑していた。

学会の出現以前、法華講に勤行の習慣はなく、末寺も朝だけ方便・自我偈で
すませていた。学会員の姿を末寺も法華講も真似するようになったが、今も勤
行を怠ける坊主共に、他教団の勤行を批判する資格はない。

F1289
  1. 2012/04/19(木) 03:12:09|
  2. フェイク

フェイク 第1288号

フェイク 第1288号(発行=12.04.17)

日如、日顕は勤行嫌いの懈怠坊主
天に唾する「大白法」の難癖を嗤う ㊤
「宗門の五座三座は日昇法主の時から」


 学会制定の勤行について、法華講の機関紙「大白法」四月一日付が「手抜き
行」「懈怠」「怠慢行」と罵り、「事行の肝心たる行体を簡素化して、どうし
て信心修行が語れようか」等と非難している。

 また日顕宗の無知な坊主共は、五座三座の勤行が七百年来の伝統だと言い、
少しだけ宗史をかじった習い損ないの坊主共は、日寛上人が加賀の信徒・福原
式治に与えられた書状を挙げて、日寛上人の頃には確立していたと主張する。

 だが、日顕自身は以前、
「私ども小僧の時には全部、長行を読んだのですよ」と言った後、勤行の変遷
を述べ「今のような形で勤行をするようになったのは、第六十四世水谷日昇猊
下の時だった」と述懐した。

 この日顕の話でも明らかなように、日昇法主の時に五座三座の所作に変わっ
たにすぎないのである。

 「大白法」編集人は学会の勤行について難癖をつける前に、宗門の紆余曲折
した勤行の歴史を学び直せ。

 次に「大白法」は「いかなる理由があろうと、信心修行をなおざりにしては
ならない」と勤行の実践を強調しているが、これは日如、日顕に対して言う台
詞だ。

 ニセ法主の日如は、昔から勤行をサボっていたことを改革同盟の渡辺雄範氏が
「決別の書」で次のように指弾していた。少々長くなるが紹介する。

 「あなた(日如のこと)は、どうして信仰の基本である勤行を平気でさぼるの
でしょうか。本山に午前八時に出発する時でさえ、朝七時からの勤行をするの
を見たことがありません。また、夕方来客があると、午後六時からの寺の勤行
もせず、客と一緒に外食に出掛けてしまいます。そして、その外食先は常に高
級な料理屋や一流ホテルであり、綱紀自粛を徹底すべき立場にありながら、そ
の分をわきまえない身勝手さは目に余るものがあります。

 その他、あなたは庶務部の仕事にかこつけて、何の理由もないまま勤行をさ
ぼります。在家の方々は、仕事を終えてから信心活動に出掛け、睡眠時間を削
りながら勤行唱題・折伏の実践に励んでいるのです。

 在家の方々のそのような苦労など、到底あなたの理解を越えるものでしょう
が、いずれにせよ、あなたのような不埓な人間に、純真な御信徒を教導するこ
となどできるはずがなく、指導教師の資格など全く無いものと断じる」と側近
く仕えたが故に氏の言は重く厳しい。

 日顕もニセ法主の座に三十年近く居座り続けたが、夜の勤行をしたのは僅か
一度だけという懈怠ぶりだ。

 大石寺では六壺で毎日午後四時から夜の勤行を行うのを常とする。だが、日
顕は「大奥で色々な仕事があって忙しい」と理由を付けては欠席をしたが、一
日だけ発心したことがあった。

 昭和六十年春、当時の仲居に「ワシも明日から六壺で勤行をするからな。信
心根本でなきゃいかん」と言ったものの、勤行したのは、その翌日の一度だけ。
同六十三年にも「勤行に出てやる」と言ったが、この時は口先だけに終わった。

 かつての奥番・山澄信玉が「御前様が勤行をしないんだ」とボヤいていたの
は有名だ。「大白法」は二人のニセ法主に勤行するよう進言せよ。「隗(かい)
より始める」のが肝心だ。


フェイク1288
  1. 2012/04/17(火) 23:42:30|
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