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フェイク 第1166号(発行=10.12.31)

フェイク 第1166号(発行=10.12.31)
日顕の「相承詐称」で苦しむ宗門
正信会は宗名を、顕正会は寺院名を使用
「日蓮正宗」「大石寺」と呼称され泣き寝入り


日蓮正宗・大石寺は阿部日顕の「相承詐称」で再三、敗訴して苦しんでいる。
正信会は「日蓮正宗」の名称を使い、顕正会は「冨士大石寺」を名乗っている
が、宗門は法主が相承を受けていないニセモノだから手も足も出せない。この
後遺症は今後も続くことになる。

昭和五十四年七月に「盗座」した日顕が、一年前の昭和五十三年四月十五日
に日達上人から相承を受けた旨、自己申告したが、証拠は何一つなく、場所や
時刻、立会人などの詳細も明らかにできないまま、今日に至っている。この時
の日顕の大ウソが約三十年後の今も尾を引いているのである。

さて、正信会とは第一次宗門事件の際、日顕の相承に疑義を唱えて擯斥処分
を受けた僧と信徒達で構成されている。この正信会の寺のうち三十四ケ寺が看
板等に「日蓮正宗」の名称を掲げているため、宗門側が名称使用の差し止めを
求める裁判を起こしていた。

 一審の東京地裁は平成二十年十二月、原告である日蓮正宗の訴えを棄却。宗
門側は控訴したが、今年八月に東京高裁でも棄却され、敗訴を重ねた。現在は
上告審中だが、最高裁でも敗色が濃厚とみられている。

この裁判で正信会側は、日顕が相承のない「詐称法主」だと指摘し、そのよ
うな者が選定した早瀬日如も正当な法主ではないから裁判を起こす資格もない
旨、主張してきた。これに対し、宗門側は当然のことながら、日顕が受けてい
ない相承だから証明できず、まともな反論もできないまま敗訴。「日蓮正宗」
の名称は正信会の使いたい放題という結果に終わっている。

一方、顕正会は、以前、妙信講という一つの法華講支部であったがトラブル
が絶えず、昭和四十九年八月に日蓮正宗から解散処分を受け、裁判沙汰にもな
った。

その後、妙信講は昭和五十七年十月に「日蓮正宗顕正会」と改称。更に、平
成八年十一月には宗教法人を取得し、中心者の浅井昭衛は「仏法上の立場が明
確ではない」との意味不明の理由から同年十二月に「冨士大石寺」の名を冠し
「冨士大石寺顕正会」と称するようになった。

 平成九年以降、冨士大石寺を名乗る顕正会は、狂信的な冊子を無差別にバラ
撒いたため社会から顰蹙をかい、危険視されるようになった。日顕宗内からは、
顕正会が冨士大石寺の名称を使うことを疑問視する声がわき起こった。非難に
抗しきれなかったのか、同年八月、当時の総監・藤本日潤が言い訳の弁に立っ
た。

藤本によると、宗門と妙信講(顕正会)との裁判は昭和五十二年四月に和解。
この時、宗門は日蓮正宗の名称使用の差し止めの訴えも、あわせて取り下げた。

和解後も顕正会は「日蓮正宗」と名乗り、また「冨士大石寺」との名前を加
えている。だが「裁判でそういう結果となり、和解という形でその名称使用の
禁止の訴えも取り下げざるをえなかったという状況でございますので、その点
お含みの上」で黙認してほしい。大要、以上のような泣き寝入り宣言を発表し
た。

正信会が日蓮正宗を名乗るのも、顕正会が大石寺を名乗るのも阻止できない
宗門。やっぱり、詐称法主の名がついた「日顕宗」の名称が、最も相応しい。

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  1. 2010/12/31(金) 22:35:06|
  2. フェイク

フェイク 第1165号(発行=10.12.29)

フェイク 第1165号(発行=10.12.29)
本尊に関する権能がないニセ法主
真の和合僧団にこそ御本尊授与の資格 ㊦
寛尊の御本尊の絶大な功徳は世界の友が実証


 日蓮大聖人直結の正統教団である学会によって妙法は世界中に拡大している。
これに嫉妬する日顕宗では、日寛上人御書写の御本尊を誹謗して、御本尊に関
する権能を独占するのは法主で、その開眼がないのは「ニセ本尊」だと騒いで
いる。だが、前号でも述べた通り、法主だけが「権能を独占する」というのは
間違いだ。

 日顕宗が主張している邪義の根拠は「法体の血脈」というものが「唯授一人」
の形で法主のみに伝わっているとの説によるが、これはお伽話である。法主の
みに「法体の血脈」が流れるとは、日蓮大聖人は仰せになってはいない。

 また「法体の血脈」といっても特別な法門が存在する訳でもない。大石寺五
十六世の日応が「別付の法体とは則ち吾山に秘蔵する本門戒壇の大御本尊是な
り」(弁惑観心抄)と述べているように「法体」とは大御本尊を意味している。

 つまり、相承によって何か神秘的な力が法主のみに伝わるということではな
い。

 したがって、法主だけに伝わる「法体の血脈」によらねば成仏しないとか、
功徳がないというのは、日顕一派の戯言である。

 その証拠に、日寛上人御書写の御本尊を受持して信仰に励むメンバーは皆、
絶大な功徳を満喫している。

 反対に日寛上人の御本尊を誹謗する坊主や法華講幹部には不幸が相次いでい
るではないか。最近も大石寺の近くで法華講の家が火災になり、最高幹部が脳
の病気で倒れ、自殺者もいた。これは日顕らの主張が邪説であることの証明だ
ろう。

 日寛上人は御本尊を受持すれば「我が身全く蓮祖大聖人と顕るるなり」「我
が身全く本門戒壇の本尊と顕るるなり」と指南され、それを可能にするのも「
題目の力用に由(よ)るなり」(当体義抄文段)と述べられている。

 このように大聖人の仏法では一切衆生が「題目の力用」によってのみ御本尊
の功力を享受できるのである。「法体」すなわち御本尊は法主の専有物ではな
く、大聖人の信心を受持する全民衆に開かれている。

日顕宗は狂乱の極み

「信と云ひ血脈と云ひ法水と云ふ事は同じ事なり」(有師化儀抄)とあるよう
に、信心こそが肝心なのであり、「血脈」と言っても信心以外の何物でもない。

 日顕や日如は相承を受けていないばかりか、信心もない。しかも、唯一の和
合僧団を破門して御本尊下付までも停止した。こんな広布妨害のニセ法主には
「法体の血脈」も御本尊に関する権能も有る筈がない。

 したがって、法主の権限を侵したとか、法主の許可がないから「ニセ本尊」
との邪宗門の言い分は成り立たない。こんなニセ法主の開眼とか許可は不要で
ある。

 更に、邪宗門の輩が言う、特定の人に授与された一機一縁の御本尊は願主以
外の人が拝んでも功徳がないとは狂乱の極み。それならば、常住御本尊は家族
にも功徳がないことになる。

 繰り返して言う。学会こそが唯一の和合僧団である。この自覚に立って御本
尊を授与する行為は「僧宝」としての重大な使命を果たすものであり、宗開両
祖の御心に最も適った偉業なのである。(この項 終わり)
  1. 2010/12/29(水) 23:33:36|
  2. フェイク

フェイク 第1164号(発行=10.12.28)

フェイク 第1164号(発行=10.12.28)
学会が地球的規模で仏法を展開
真の和合僧団にこそ御本尊授与の資格 ㊥
日顕・日如ら遊蕩坊主が僧宝とは笑止千万


学会が御本尊を授与することの正当性は、さまざまな角度から述べることが
できるが、特に次の観点から明確に説明できる。

その第一点は、学会こそが唯一の「和合僧団」であり、「僧宝」の意義の上
から御本尊を授与する資格を有していること。第二点は、大聖人の仏法の本義
の上からみても法主のみが御本尊に関する権能を独占するという根拠は何もな
いこと。第三点は「信心の血脈」のない謗法坊主の日顕と日如には御本尊に関
する権能はないこと。それなのに日如は下手な字で、誤字だらけの本尊模写を
している。

まず、第一の「和合僧団」また「僧宝」の資格に基づいて授与するとは、ど
ういうことかと言うと、学会の存在は仏法上から見て、法華講のような単なる
一信徒団体という範疇(はんちゅう)におさまるものではないということであ
る。

七百年もの長い間、坊主主導の宗門では全然、進展しなかった広宣流布を現
実のものとして推進してきたのが学会であり、大聖人の仏法を地球的規模で展
開し、世界中に弘めてきた。仏勅の「和合僧団」は邪宗門ではなく、学会であ
ることは言うまでもないだろう。

この御金言通りの実践を貫く学会こそが、日蓮大聖人の真の門下と言える。
言い換えれば、学会こそが真実の「僧」なのである。

牧口初代会長について、日亨上人は「通俗の僧分をも超越」と称賛された。
また戸田第二代会長に対しても、日淳上人が「妙法蓮華経の五字七字を七十五
万として地上へ呼び出したのが会長先生だと思います」と明言された。

更に、日達法主は「池田会長は四菩薩の跡を継ぎ、折伏の大将として広宣流
布に進軍しております」と、現在の名誉会長が「地涌の菩薩の将である」と断
言されたのであった。

これら歴代法主の指南に照らしても、そして現実の世界広宣流布の実証を見
るにつけても、学会こそが御本仏に直結した唯一無二の「和合僧団」であるこ
とは疑う余地がない。

邪宗門に真の僧は不在

 「僧宝」は、仏法僧の「三宝」の一つだが、厳密には日興上人御一人のこと
である。だが、総じての立場でいえば、広宣流布を行じていく人の全てを「僧
宝」と言ってよい。このことは日顕宗を見限った花野充道博士なども再三、指
摘している通りである。

それを日顕宗では、別して法主が「僧宝」、総じて日顕に連なる坊主らが「
僧宝」であると僧俗の差別を強調している。これは御書のどこにも記されてい
ない邪説である。邪義に染まった日顕宗は僧宝論でも間違った総別論を振りか
ざすが、何より「正しい信心と実践」を基準にするべきであり、それが仏法の
道理である。

日淳上人は「末法の教行証」として僧宝は「行の重」に配すると述べておら
れる。正しい実践がなければ「僧宝」とはいえない。

日顕も日如も相承がないうえ、勤行はサボり、御書研さんも怠り、遊興を重
ね、遺誡置文に悉く違背している。こんな坊主共を「僧宝」と言えないのは誰
が見ても分かる。その意味で日顕宗には真の「僧侶」はいないのが現実だ。(
つづく)
  1. 2010/12/28(火) 23:32:28|
  2. フェイク

フェイク 第1163号(発行=10.12.27)

フェイク 第1163号(発行=10.12.27)
「ニセ法主」の許可など不要!
真の和合僧団にこそ御本尊授与の資格 ㊤
日蓮大聖人の仏法は坊主の専有物ではない


世界百九十二カ国・地域に平和と人道の連帯を拡大した学会は、創立八十周
年の佳節を刻んで、いよいよ威光勢力を増し、若々しい青年の息吹で前進して
いる。

一方、日顕宗は衰亡に歯止めが効かず、登山・供養・折伏などを強制されて
苦しんでいる法華講からは怨嗟の声が起こり、寺離れ現象が一段と顕著になっ
てきているのが現状である。

今回の問題が表面化した当初、魔僧・日顕は学会員に対する登山止めと合わ
せて、御本尊下付を停止することで学会攻撃の切り札にする魂胆だった。

 ところが、学会は日顕宗の策謀にも微動だにせず、日寛上人御書写の御本尊を
授与するようになった。そのため腹黒い日顕らの思惑は完全に打ち砕かれた。

困り果てた邪宗門は、以来、機関紙誌の「大白法」「妙教」それに駄文と悪
文で埋め尽くした「慧妙」を使い、また各種ビラを撒き散らして学会授与の御
本尊を「ニセ本尊」だと騒いでいる。最近では青梅市の慈本寺でも長野・妙相
寺の悪党共の真似をして粗悪なビラを大量に配布している。

それらの難癖を大別すると、御本尊に関する権能は法主にある、法主の開眼
のない御本尊には功徳がない、一機一縁の御本尊を他の人が拝んでも功徳はな
い、という点である。

これは再三、粉砕した内容ばかりだが、信心のない日顕宗の者共が執拗に誹
謗するので簡潔に破折する。

日寛上人は本尊抄文段で、大御本尊様を「一閻浮提の一切衆生の本尊」と記
されている。御本尊は日顕や日如のためとか宗門のためにあるのではない。広
宣流布に励む全ての人のために顕された御本尊なのである。

また、日蓮大聖人は「法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり」と仰せに
なっている。この広宣流布の旗印である御本尊を日顕らは信徒を脅し、供養を
巻き上げるための道具として悪用してきた。

供養を欲しさに御本尊に難癖つける乞食坊主

日顕らが盛んに「法主の権能」とか「法主の允可」等と血迷ったことを強調
しているのも、結局は、本尊下付の際の供養が寺に入らないからである。

だから、御本尊を坊主の専有物であるかのように偽って難癖をつけ、愚かで
軽率な法華講員を煽動し、学会の悪口を言わせて大騒ぎしているのである。

また、御書に「末代の衆生に慥(たし)かに授与す可し」と記され、御講聞
書には「妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生に取次ぎ給うべき仏勅使の上
行菩薩なり……広くは末法万年までの取次なり」と仰せになっている。

この尊い精神を蹂躙した日顕宗は、日寛上人の御形木御本尊を「ニセ本尊」
呼ばわりするまでに錯乱してしまっているのである。

日顕が悩乱したことで宗門は完全な邪教と化してしまった。日蓮大聖人の御
精神を継承し、世界に広め、後世に伝えることのできるのは、今では学会しか
ない。

信心を失い、広宣流布の使命を忘れた極悪坊主の日顕、日如には御本尊に関
する権能もなければ、学会の御本尊授与について、つべこべ文句を言う資格も
ありはしない。(つづく)
  1. 2010/12/27(月) 23:29:13|
  2. フェイク

越 洋 平成22年12月27日

越 洋 平成22年12月27日

あの年末の聖教新聞が休刊日になるのを狙って平成2年12月27日、日顕
が突然、一方的に池田名誉会長を総講頭罷免してから、今日で丸20年を迎え
る。宗門事件が起こった直後にある著名な学者が、次のような言葉を寄せた。

「宗門と学会の諸問題が、両者の対立という形で報道されているようだが、こ
れは正しい見方とはいえない。世界的な民主化の潮流が押し寄せる90年代に
あって、むしろ、避(さ)けては通れない"関門"ととらえるべきであろう。

いわば、90年代という歴史的転換点において、宗教の本来あるべき姿が問
われているのである。」と。まさに90年代、民主化への、大衆の飽くなき欲
求が、ソ連・東欧をはじめとする世界の劇的な変化へと繋がっていった。民衆
の精神的パワーが、ベルリンの壁の崩壊へ、ソ連のクーデターに対する民衆の
勝利へという流れを創っていった。そうした趨勢に、まさに符合するかのよう
に"宗門事件"が勃発したのである。C作戦のシナリオ通りの策謀だった。今で
は全てが明らかだ。

宗門事件発動のこの日は、ちょうど師走から正月にかけて最も人々が楽しい
はずの時に、宗門は学会員を驚かし、脅かし、苦しめた。この暴挙は、人を苦
しめることを喜びとする、宗門の体質を浮き彫りにした事件であった。その手
口は、ペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)などの大改革を断
行したゴルバチョフ大統領を幽閉(ゆうへい)したクーデター事件と、その構
造において酷似(こくじ)している。結局、腐敗した権力者(聖職者)が、民
主化を推し進める民衆(在家)を権力で切り捨てたようなものである。

大聖人は、佐渡で次のように仰せである。「既(すで)に法華経の為(ため
)に御勘気(ごかんき)を蒙(こうむ)れば幸(さいわい)の中の幸なり瓦礫
(がりゃく)を以(もっ)て金銀に易(か)ゆるとは是(これ)なり」(御書
1371)-すでに法華経のために御勘気(権力による、とがめ)をこうむっ
たことは、幸いの中の幸いである。瓦(かわら)や石ころを金銀にかえるとは、
このことであるーと仰せである。難を受けるという事は、「幸(さいわい)の
中の幸」である。大聖人の御心は、難と戦い乗り越えてきた今日の学会の中に
あることは疑いない。大聖人の仏法の正義を守り、御遺命である一閻浮提広令
流布を、世界192カ国地域への妙法流布という事実の上に実証を示した創価
学会には誰人も文句を言えまい。時代に逆行する日顕宗は大謗法宗だ。

越洋 平成22年12月27日
  1. 2010/12/27(月) 22:37:20|
  2. 越洋
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